『私の課長時代』
安全管理の向上とコミュニケーション
例えば今から25年前、重篤災害が多発していた鋳物工場の製造課長(現場作業者800名・作業長66名)を任されました。荒んだ職場でした。そこで、1年間毎週各作業長一人ひとり、「悩み・困ってること・要望・意見」を聞き、私の「考え・意見・指示」を伝え話し合い、指導しました。1年後には、重篤災害はもちろん、休業無災害記録を達成し、当時の日本鉄鋼連盟から、工場が表彰を受けました。
体質強化と収益の向上
その後、66名の作業長と体質強化に取り組みました。当時、毎年製造原価が上昇し、販売価格に転嫁していました。この原価上昇を作業長の「現場力」で克服する。「一人3か月に1テーマ、1年間で4テーマ、3か月毎に成果発表会」4年間ともに考えました。3年目に目標達成、4年目には原価が下がりました。現在なら「モノづくり・からくり展」に出しても、恥ずかしくありません。
これが「私のやり方」です。「徹底的に一人ひとりに寄り添い」、一人ひとりの育成を通して、問題・課題を解決する。
One of Themではなく、One by Oneで対応する。その後、工場長・海外での工場建設・会社経営を経験し、様々な体験を積みました。インドでは、10万T/年の鋳物工場を建設しました。
One of Themではなく、One by Oneで対応する。その後、工場長・海外での工場建設・会社経営を経験し、様々な体験を積みました。インドでは、10万T/年の鋳物工場を建設しました。
お会いできる機会があれば、それらの話もさせていただきたいと思います。